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2024年10月4日

京町運河のこと

CATEGORIES:あなたもきっと知らない川崎のこと

昭和35年小田2丁目生まれの私、小田小学校の同級生には京町3丁目に住んでる子も多くて、京町通りを渡って、よく遊びに行ってました。 その友達たちから「怖いぜぇ」と言われていたのが「京町運河」。塀みたいのをちょっと乗り越え、覗き込むとオレンジ色の水で泥溜まりは落ちたら決して上がってこられなそうな形態。恐怖心から長時間見てられなかった記憶があります。当時はおそらく今の「いなげや」あたりから始まっていたような。

この仕事に就くようになって色々調べました。京町運河ではなく川崎運河が正しい名称。現在の京町小学校とガーデンポートのところが船溜まりとして始まり、弁天町安善町で東京湾に繋がっていた、いまでも汐入公園の脇には残っています。運河を境に京町と平安町と京都の街並みを模して、名前も拝借し京浜急行電鉄が分譲地として開発したのが八丁分譲地、一の辻、二の辻、三の辻は当時の分譲区割りでの名称の名残。だから京町1丁目2丁目あたりは碁盤の目のように整然として区画も広いわけなんです。

 ここまでは、私の鉄道趣味をきっかけに調べた内容ですが、ついこの間YouTubeで「街と暮らしのニュータウン」さんの投稿に「川崎京町」というのを発見、もっと詳しく説明されています。平安町は元々は浜町、つまり京町と浜町で京浜急行の頭文字だったこと、いなげや前の道が盛り上がっているのは、あそこに唯一運河を越える橋「よしきり橋」があった名残だ ということ。なるほど勉強になりました。